初めて自由の女神を見た時、これがニューヨークだ!って思った。
僕たちアメリカ人は自由を求めてヨーロッパからやってきて、この土地を開拓していった。
日本の人は自由の女神を綺麗で、自由の象徴であるとは知っていても、 自由の女神を見上げて心をふるわせ、涙がこみ上げてくるような気持ちはわからないと思う。
   TV「NY者」 初めて訪れたNYでケント・デリカット

そういえば寺山がはじめてニューヨークに行くことになったとき、植草甚一に地図を描いてもらった。あれはおかしかった。というのはその頃、まだ植草はニューヨークに行ったことがないのに、本や映画で覚えたニューヨークのさまざまな街角やレストラン、カフェ、ジャズのスポット、映画館や公園に、やたらくわしくて、寺山にそれを教えたのだった。寺山も驚いていた。植草だけがなにくわぬ顔をしていたので、なんだかおかしく妙に嬉しくなってしまったことを龍平は思い出した。
   「セントラル・アパート物語」 浅井慎平

何ひとつほんとうにあたしのものというわけじゃないけど、
でもやっぱり、何となくニューヨークが自分のもののような気がするわ。
   映画「ティファニーで朝食を」 ヒロインのホリー

最初にこの街に来てしたことはアパートメント探し。ホテル・ルーサンに仮の宿を取りました。約一ヵ月の滞在でした。その間に地元の新聞『ヴィレッジ・ボイス』などで適当なアパートを何件かピックアップして、ルーサンの1階の電話ボックスから連絡しました。
   雑誌「THIS・94年秋季号」 佐野元春

写真を本格的にしかも真剣に自分の仕事とするなら、ニューヨークに住んだほうがいいのだが、ぼくはほかの場所からニューヨークに行くのが大好きなので、いまのところニューヨークには住まずにいる。
   フォトグラファー スティーブン・プロール

ニューヨークへ出かけていくのは仕事ということもあるが、勉強と休息のためでもある。この目で見なければわからないことがニューヨークにはたくさんあるし、それに、あるエッセーストの語ったことであるが、この街には誰にも孤独とプライバシーをあたえてくれるという。私はニューヨークは一人旅を楽しめる街だと解釈している。
   雑誌・Travel frontier 「ニューヨーク冬物語」 常盤新平

ニューヨークではいろんなホテルに泊まったんですが、「これぞ」というのはなかなかないんですね。アッパー・イーストサイドにあるあのホテル(なんていったっけなあ、飛島建設が買収して、金がなくなって売り払ったホテル)はなかなか感じが良かったですけど。「アルゴンキン」は伝説的だけど、いささか古びてしまった。その近くにあるフィリップ・スタルクのデザインした「ロイアルトン・ホテル」は思いのほか居心地よかったです。(注・思い出した。「あのホテル」は「スタンホープ」でした)
   「そうだ、村上さんに聞いてみよう」 村上春樹

なぜニューヨークに行くのか。歩き飲み食いし、本屋を覗くだけの街である。
時間の浪費、体力の消耗、お金の無駄使いだ。それがまた楽しい。
   「ニューヨーク遙かに」 常盤新平

「拷問されても口を割らないでいられるか、考えてしまうことがあるわ」
「きみが?ブルーミングデールのカードを取り上げるっていわれたら、 すぐになんでもしゃべちまうだろうよ」
 映画「アーニーホール」 Woody Allen

I love N.Y.,especially in the evening. −アイ・ラブ・ニューヨーク、特に夜は
   キャンペーン「I love N.Y.」 ラウラ・ジュリア

New York was his town, and it always would be.
  ニューヨークは彼の街だった。つねに変わらず彼の街だった。
   映画「マンハッタン」 Woody Allen

ニューヨークは人を歩かせる街だ。歩くたびに、そう思った。
いつの間にか歩いていて、気がついたときにはもう何ブロックも来ている。
   「ニューヨーク五番街物語」 常盤新平

エドワード・ホッパーは真実のアメリカである。茶色いアメリカ、黄色いアメリカ、不安な夜を照らす青い電気のアメリカ。ホッパーはそこから派生してきた、世紀の画家である。将来のある日、人はホッパー、ハメット、ヒッチコックによってアメリカを旅するであろう。
   ジェラール・ゲガン

特に引きつけられるところだな。いろんな種類のアーチストに偶然であったりもする。大宇宙だね。
みんなお互いにしのぎを削っている街さ。
   ニューヨークについて スティング

これからニューヨークに行くんだ。そしていろいろな人に出会って、いろいろなものを見て、いろいろなものを作っていきたいんだ。すぐ帰ってきちゃうかもしれないし、けっこう長くいるかもしれない。だけど、日本に帰ってきたらまた、いいものを作るから、みんな、待ってて欲しいんだ。
   佐野元春

NEW YORK CITY:IT AIN'T KANSAS. −ここはニューヨーク。カンザスとはわけが違うぜ。
   街で売ってTシャツに印刷されているフレーズ

WELCOME TO NEW YORK. NOW GO HOME! −ニューヨークへようこそ。とっととおかえり。
   街で売っているTシャツに印刷されているフレーズ

「どこに泊まっているの?」「ウェスト・サイドのデイズ・インだ」彼女が鼻にしわを寄せた。「ほんとに?」「自分持ちできているし、スーザンが一緒でない」「あなた自身、一流にふさわしい人じゃないの?」「おれはだいたい、自分が得られるものにふさわしい人間なんだ。しかし、部屋と バスルームがあれば用が足りる。ディズ・インで十分だ」
   「悪党」 ロバート・B・パーカー

俺がブルックリンで育った頃、誰も自殺なんてしなかった。みんな不幸せすぎたからね。
   映画「重罪と軽罪」 Woody Allen

日本の街の光っていうのは、全体に白っぽいんだ。で、こっちの街の光は黄色い感じがする。
   雑誌「GB・83年10月号」 佐野元春

パリのように古びていれば、そこの伝説を見いだせようものを、 アメリカでは都市は時代おくれになていくだけなので、彼らは自動車に愛着するように、 いくらか自分の町に愛着するだけだ。パリジャンにとっては都市はなによりも過去なのに、 ニューヨーカーにとっては、それはまず未来であり、彼らがそこにおいて愛するのは、それがまだないもののすべて、それがありうることのすべてなのである。
   サルトル

マンハッタンのダウンタウン、ソーホ地区に隣接するグリニッチ・ビレッジは余韻の町である。ここではほとんど奇跡的にアメリカの「希望」や「未来」が何者にも邪魔されずに生きのびた。 ただ憧れと想い出だけが、この町では純粋に壊されずに、いつも心地よい曖昧さのまま漂っている。楽しさや悲しさ、痛々しさや美しさが限定されずにさまざまな含みをもって透明に錯綜している。
   「アメリカ情報コレクション」 伊藤俊治

いくつもの心でできているアメリカだけれども、ニューヨークもまたアメリカの心のひとつだね。
   TV「NY者」 初めて訪れたNYでケント・デリカット

ああ、女神よ。希望と、自由と、チャンスの象徴よ!
   アナーキスト エンマ・ゴールドマン

エンパイア・ステート・ビルディングはスターだ
   アンディー・ウォーホール

1947年に、おれたちはあそこに着いたんだ
   映画「ファミリー・ビジネス」

衣類を買いたまえ。まわりを見るんだ。われわれがどんな身なりをしているか見て、外見に関する感じをつかむ。そして、出かけて行って、ブルックス・ブラザースでクレジット口座を開く。すべて仕事の一部だ。きみは順応過度のように感じるかもしれん。しかし、筋は通っている。いい製品は、包装がよければいっそう売れる。わかったな?
   「愛と名誉のために」 ロバート・B・パーカー

幸福を願わなかったら、ニューヨークに来るべきではない。
   「ニューヨーク物語」 E.B.ホワイト

マフィアは都会のカウボーイだよ。
  ゲイ・タリーズ

ここにはおれたちの詩がある。おれたちは空の星たちを引きずり降ろしたのだ。
  詩人 エズラ・パウンド

ロスアンゼルスにくると太陽の光でジンマシンがでる。僕はニューヨークがいい。
  映画「アーニー・ホール」 Woody Allen

バルドゥツチがヴィレッジにあれば、ディーン&デルカはソーホーにあり、
アッパー・ウエスト・サイドにはゼイバースがある。
  「ニューヨーク・シティー・ストリート・スマーツ」 ソール・ミラー

カリフォルニアなんてところに住んでいたら、毎分毎秒、IQが低くなってしまうよ。
  トルーマン・カポティー

行きたいところはブロンクス動物園、メトロポリタン美術館、近代美術館、自然史博物館、それと拳闘が見たい。メトロポリタンでは最高のブリューゲルと、素敵なゴヤを1、2点と、ミスター・エル・グレコ のトレドを見たい。トゥーツ・ショアの酒場へは行かない。街ではペラペラおしゃべりしないで過ごしたい。人の集まるところはさけたい。
  アーネスト・ヘミングウェイ

ここでは何でもが起こりうる −それも今すぐ起きる
  社会学者 ピーター・バーガー

午前5時、マンハッタンは疲れ切ったトランペット吹きと家路を急ぐバーテンの街となる。パーク街は鳩の天下、道路のど真ん中を堂々と行き来している。この時刻、マンハッタンは一番のんびりしている。夜型人間はたいがい姿を消し、昼型人間は起きていない。トラックやタクシーは起きているが、ムードを壊すほどの影響はない。ロックフェラー・センターの静けさも、フルトン魚市場の夜警のうたた寝も、ラジオをつけっぱなしで寝込んでしまったガソリン・スタンドの従業員の安眠も、誰も妨げない。
  「名もなき人々の街」 ゲイ・タリーズ

子供の頃の童話を想い出した。立ち止まったために石にされてしまった男の話だった。NYからの帰国途中の旅がうかんだ。2カ月ほどの放浪だった。僕は童話の男のように歩き続けた。立ち止まったら石にされてしまう。
  「空を見る」 安西水丸

まず第一に、本は少なくとも千冊は買っていこうと思っていましたが、この分では千五百冊はいくでしょう。第二はアクセサリー。日本にないものを見つけること。第三にはここでつきあったアメリカ人におごってやること。この年になっておごってもらうわけにはいきませんからね。
  雑誌「宝島」マンハッタンに行く目的 植草甚一

ニューヨークは本当に寂しい。その寂しさからは何かが生まれるのではなくて、ナッシング、本当に何もないのである。(しかし、本当に偉そうによく言うよな、昔はニューヨーク、ニューヨークと連呼していたくせに。
  村上 龍

これは新しいタイプの楽器(グラビノーワ)だけど、僕の奏でる音楽は僕自身の文化、アメリカの音楽に基づいている。新しい変わった楽器で古い音楽を奏でることで新しいものが生まれる。だから道で弾いていても、若い人から年寄りまでいろんな人が聴いていく。 それから、この楽器が何処から来たのか尋ねるんだ。
その時いつも僕は「ある小さな島から来たんだ」って答えるんだ。そう!マンハッタンだよ。
  TV「NY者」 路上で創作楽器を演奏する老人

LAに行って驚いたのは、道に穴があいていないこと。よくメインテナンスされている。ニューヨークでいつも穴をよけることばかり考えて運転しているんで、これは新鮮な驚きだった。ニューヨークで走っていると車の消耗がはげしくて泣けてくる。
  「友よ、また逢おう」 坂本龍一

コンテンポラリー・アートが野球だとしたら、ベーブ・ルースとハンク・アーロン、つまりベビー・ヒッター とホームラン王を合わせたようなアーチストは、紛れもなくジャスパー・ジョーンズでしょう。
  雑誌「ヴァニティー・フェアー」 ドリス・サーチ

まるで盲腸のようにあってもなくてもいいのがマンハッタンの四番街だ。短くて、そしてさしたる有名な場所もない。そもそもマンハッタンに四番街があることさえ知らないニューヨーカーがいるほどだ。
  「マンハッタン・ピアノバー物語」 天野 昭

想像してもみたまえ、そいつは、彼らの街は、立っていたのだ、完全にまっすぐに。
ニューヨーク、それは、突っ立った街だ。
  「夜の果ての旅」 ルイ=フェルディナン・セリーヌ

もし僕が1952年にアメリカにいたら、何があったってNYに行ってクリフォード・ブラウンのライブを聴いていただろう。1960年にアメリカにいたら、やはり同じようにジョン・コルトレーンとキャノンボールとビル・エヴァンスの加わったマイルス・デイヴィス・セクステッドを必死に聴いていただろう。遠いとか、面倒くさいとか、眠いとか、空気が悪いとか言っていなかっただろう。
  「やがて悲しき外国語」 村上春樹

川を渡っただけで、何から何まで違うわ。マンハッタンは、すべてが美しいのよ。
  映画「サタデー・ナイト・フィーバー」 ステファニー

いつの日か、ホンモノの雨がこいつら人間のクズどもをこの街から洗い流してくれる
  映画「タクシードライバー」

ハリウッドが終点。すべてのものがニューヨークで食べられ、アメリカで消化され、ハリウッドで終着を見る。
  「Andy Warhol」 ナット・フィンケルスタイン

ニューヨークでザ・リバーというのは河ではない。絶え間なく続く車の流れのことだ。
  コピー 秋山 晶

多くの人たちは、生まれ故郷の街では自分がミスフィットで異分子だと感じてニューヨークにでてくる。ここで一旗揚げようと思って。ニューヨークにいることはそのまま時代のただ中に身を置くことだから。でもこのタフな都会では、人は野心や人間関係の奴隷になってしまう。死にもの狂いでお互いにつながりを持とうとしながら。
  「ニューヨークの奴隷たち」 タマ・ジャノビッツ

「エスクァイア」と「ニューヨーカー」というふたつのクォリティー・マガジンのタフさにはつくづく感心させられた。4年間毎号毎号読んでいても、たるみというものがまったく見受けられないのだ。企画も立体的できちんと手が入っているし、ライターは優秀だし、やっつけ仕事のような原稿もない。こういう雑誌をずっと読んでいたおかげで日本の雑誌がすっかり読みづらくなってしまった。日本の雑誌はどうしてあんなに連載と悪口と噂話と対談が多いんだろう。
  「THE SCRAP −懐かしの1980年代」 村上春樹

ニューヨークは老人にやさしくない。街の足取りは速すぎて、老人たちは追いつけない。9番街のジャム屋の女主人、メアリ・アームストロングは滅多に遠出をしない。しかし出かけると必ず街の変わりように仰天してしまう。「あらまあ、こんなにしちゃったんだね!」。こんなにしちゃった、のである。「こんな」のがこの25年間のやりかたなのだ!
  「名もなき人々の街」 ゲイ・タリーズ

ニューヨークなら人々は毎週のように自分を作り直すことが可能です。新たに素敵な出発をしたいんですね。しかし南部ではそうはいかない。現在ある自分は自分がこれまでに成し遂げてきたことの集積であり、過去の自分から逃れることはできないのです。それだけに人の行動により価値を置いています。
  エスクァイア・インタビュー ノンフィクッション作家・ジョン・ベレント

入口からすぐの壁に、くすんだタブローがあった。小さい絵の下には、素っ気なく、「旗」と、タイトルがおしてあった。僕はその前に立ちつくした。からだがどんどん冷えていくのがわかった。 「嘘をつくな」 その絵はそう言っていた。さまざまなものが剥ぎ落とされて、僕は、裸の、小さい頃の自分に戻っていた。
  「ポップ・アートのある部屋」 村上 龍

ニューヨークではタテよりもヨコの通りの方がおもしろい
  「ぼくのニューヨーク地図ができるまで」 植草甚一

多くのアメリカ人はニューヨークに対して嫌悪感を抱いている。彼らは、ニューヨークは傲慢で自己中心的で浪費的で威圧的で、田舎ではまずお目にかかれない(が、じつはぜひともお目にかかりたい)ブーツにミニ・スカート姿の罪深き乙女たちに占領されていると思っている。
  「男のコラム」 マイク・ロイコ

親しくなった水丸に5度目にあった真夜中、二人でニューヨークの旅をしようと誘った。彼が27歳から28歳の1年間暮らしたニューヨーク話が興味深かったからだ。モハメド・アリがまだカシアス・クレーの時代とても可愛い絵を描くのをアート・スチューデント・オブ・ニューヨークで目撃したこと。「ビレッジ・バンガード」で偶然会ったセロニアス・モンクに日本製の煙草「ハイライト」を1本プレゼントしたこと。パエリアがとてもおいしい「エル・ファロ」のこと。水丸の話を聞けば聞くほど行きたくなってしまった。
  雑誌「Free&Easy 99.09」百瀬博教のミッドナイト・シュークリーム 百瀬博教   

「あいつらはロード・ピッツアっていうんだ」リムジンの運転手は渋滞する車の間をローラーブレードを履いて滑り抜けていく若者たちを指してそういった。「いつか車にひかれてペッチャンコさ」
  「『Shall we ダンス?』アメリカを行く」 周防正行

結局のところ、ニューヨークはいくら知ろうとしてもおいそれとわからない街なのだ。規模が大きすぎるし、ひどく雑駁だし、奥が深いし、あまりにも濃厚だ。最長老のニューヨーカーだって、この街を知っているなどとはいえまい。
  雑誌「VOGUE 99.10 ・ タフなニューヨーカーのストイックな物語」 ピート・ハミル

僕のニューヨークとの長い恋愛は、5歳の時、両親に連れられて、プラザホテルに泊まったときに始まった。そのとき僕が特に気に入ったのは、あちこちの摩天楼で乗ったエレベーター、そして路上の屋台で売られている、柔らかくて大きいプリッツェルだった。
  雑誌「ELLE 97.10 インタビュー」 ジェイ・マキナニー

それから2・3週間して酷く顔色の悪い、白髪が斑になっているとても奇妙な男がやってきて、ジャスパー・ジョーンズの素描が欲しいという。僕はとても値が張ると言ってやったんだが、確か400ドルか500ドルだったと思うな、それでもその男は電球の素描を買った。・・・好奇心をそそられたので、89丁目にあるスタジオを訪ねたら、そこには素晴らしい骨董の家具の数々の傍らに、二五枚続きのキャンベル・スープの缶の絵と、漫画のキャラクターの絵が並んでいたわけさ。とにかくものすごいボリュームでロックンロールがかかっていて、とてもまともに話ができるような状態じゃない。同じ曲が何回も何回も繰り返しかかる。今でも歌ってあげられるよ。「昨日リンダに会った」という曲だ。
  「アート・ディーラー/アイヴァン・カープのインタビュー」 ローラ・ディ・コペット、アラン・ジョーンズ

ニューヨークは粉雪の中らしい 成田からの便はまだまにあうだろうか
片っぱしから友達に借りまくれば 決して行けない場所でもないだろう ニューヨークぐらい
  「永遠の嘘をついてくれ」 作詞・作曲/中島みゆき 歌/吉田拓郎 

どうみても、行くべきところはニューヨーク以外になかった。ぼくが必要とし望んでいた強烈さを得られる唯一の場所がニューヨークだった。ぼくは作品のためにも、それから自分自身のためにも強烈なものが欲しかった。
  「キース・ヘリング」 ジョン・グルーエン

妹と暮らすつもりしばらくニューヨークで ひとりきり東京でもう生きていけない
逢いたい時にだけ電話かけてきて 食事してドライブしてベッドにはいるだけ
  「MIDNIGHT FLIGHT−ひとりぼっちのクリスマス・イブ」 作詞・作曲・歌/浜田省吾

マンハッタンに入ったとたんに芸術家は、古い上着をあっさり脱ぎ捨ててしまう。それで平気に思う。ニューヨークには何かえたいの知れぬ底力、ある大きさと理解力、そして自由があるからだ。
   画 家 猪熊弦一郎

 「NYという所では服装は地味なほうが身の安全だよ」とよく言われている。洒落た身なりで一眼レフを持ったスタイルは、悪のかっこうの獲物になるようなものだ。というわけか、NYの日本人ストレンジャーは地味を通り越してしまった人が多い。
   「ショウより素適なマンハッタン」  わたせせいぞう