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  どうしてニューヨークはビッグアップルと呼ばれるようになったか?

「いつどうやってニューヨーク市は『ビッグアップル』と呼ばれるようになったの?」

これは私たちのNY市歴史ホットラインに寄せられる中では群を抜いて多い質問です。

人気のある伝承によれば、この呼び方は古いジャズミュージシャンとか、昔のスポーツマンの話にたどり着くようです。この呼び方のいわゆる「起源」なるものの説明は、しばしばまことしやかに聞こえる、史実をふまえた伝記風の細部をともなって、紛れのない(あら残念、でも全くまがい物の)「真実」の環を提供します。

そしてこの疑問はいつまでも好奇心を喚起する一方、本当の事実は専門の歴史家一般にはよく知られていることでもありますから、私たちの独自の資料出典に基づいて、これから信頼のおける説明を申し上げます。このお話はお聞きになる皆さんの中にはちょっとがっかりの面があるかもしれませんが、まあ事実というのは往々にしてフィクションの派手さに欠けるものですから。
でも事実は事実、さて。

19世紀の初頭、戦乱に明け暮れるヨーロッパから大勢の難民がニューヨークにやってくるようになりました。そのうちには崩壊したフランス王朝貴族の遺臣で、あの恐ろしい「ムッシュー・ギロチン」を逃れて外国に逃亡を余儀なくされた人たちがたくさんいました。この土地に財産も知人も持たずにたどり着いて、多くの人は、当時言われたように、「才覚か悪事」で生き延びることを強いられたのでした。

その中の一人、1803年の暮れか1804年の初めに到着したのがマドモワゼル エブリン クローディーヌ ド サン−エバモンド でした。彼女は著名な廷臣で、機知に富んだ文人の娘で、彼女自身もマリー・アントワネットに寵愛されていたのでしたが、エブリンはあらゆる点ですばらしく魅力のある人でした。美しく活発でよい教育を受けており、やがて社交界の人気者となったのです。しかし、理由は明かされることはありませんでしたが、故アレキサンダー・ハミルトンの息子、ジョン・ハミルトンと翌年に予定されていた結婚がどたん場で破談になってしまいました。それからまもなく、高額の援助を惜しまぬ崇拝者の援助でエブリンはサロンを作ります。それはまるでエレガントな飾り付けをした娼家のように見えたのですが、当時は市内の最高級住宅地で、今でも142ボンドストリートに建つどっしりした邸宅にありました。

エブリンの館はたちまちのうちに人気を博し、それから何十年もの間、市内にあるたくさんの「愛の殿堂」の中でも、もっともエレガントで厳選されたところという評判を保ったのでした。そこでは愛の技巧のみならず、優雅な晩餐や、高額の賭博や、ウイットに富んだ会話が提供されたのです。そこの女たちはパリやロンドンから着いたばかりというのが多かったのですが、その美貌とふるまいで抜きん出ていました。何人かの女性が実際富豪の顧客の中から、夫となる金持ちの男性を獲得したらしいというのもむべなるかな、であります。

ニューヨーカーたちが彼女の名前を「イブ」と英語風に呼ぼうよと言ったとき、エブリンはその聖書に出てくる名前との照合がとても気にいったらしく、自分でも、雇っている娼婦たちのことを指して「私の食べちゃいたくなるようなリンゴちゃん達」と呼ぶようになったのでした。街の若い遊び人たちはじきに色事の冒険をしに行くことを、「ちょっとイブのリンゴを味わってくるよ」と言い習わすようになったのでした。そう気の利いた言い方をすると、いけてる連中の仲間ということになって、例えばマーサー・ストリートにひしめく安っぽい売春宿には行かないんだということを示すようにもなったのです。フィリップ・ホーンの有名な日記「アイダ、リンゴサイダーのように甘い人」(1838年10月4日出版)に出てくるこの謎めいた言い方は、その時までにはもう悪名は高いが市民に許容された施設として愛されていた館に行くことを、遠まわしに言っているんだと理解されています。

話の続きは、そのいわゆる語源からの歴史です。

「アップル」の語の性的な意味の含蓄は、第一次世界大戦の時代ごろまではニューヨークでも国内でもよく知られるていました。1870年に私家版で発行された「紳士のためのニューヨーク案内」という、街の「待合所」ガイドは、おお威張りでこう断言します。「その新鮮さ、甘さ、美しさ、手触りの確かさ、ニューヨークのアップルは新世界アメリカのどこのアップルよりも、そしてヨーロッパのどこのよりも素晴らしい」と。そうこうする内、アメリカの大きな町のどこよりも、一人当たりの売春宿の数が多いという芳しからぬ名声を(そういっても差し支えないなら)誇るニューヨークの街自体の同義語として、「アップルの木」とか「本当のアップル」とか、いろんな「アップル」の言葉を使ったキャッチフレーズが使われるようになってきたのでした。

ウイリアム・ジェニングス・ブライアンは、ニューヨークが悪徳の汚水溜めと弾劾した初めての人ではもちろんないのですが、広く再版された1892年の選挙演説で、「頽廃した連邦主義者という木になる、最も忌まわしい腐ったアップル」と呼んでニューヨーク市のレッテルとし、「アップル」のあだ名を公の議論の場で初めて使った人と思われます。その言葉の二重の意味、すなわち政治におけると、性におけるとの両方の頽廃を指していることは、その当時の有権者にはよく了解されていたわけです。

「ビッグ・アップル」「アップル」の用語は1907年までにはニューヨーク市のあだ名として一般に認められるようになっていました。その年のガイドブックのひとつは、「ある人々はアップルがその元気の果汁を失ってしまったと思うかもしれない」というコメントを載せています。興味深いことですが、この言葉は使われるに従って殺菌されていきます。それは20世紀初頭、州北のコートランドにある企業グループのリンゴ販売協会が打った一大キャンペーンのおかげです。急激な販売実績の低下を懸念して、「購買層特定販売促進キャンペーン」と今日呼ばれる最初期のキャンペーンを展開したのです。

「一日一個のリンゴで医者要らず」「アップルパイのようにアメリカンな」というようなスローガンをあみ出し、精力的にプロモートしていくことで、リンゴ販売協会は、リンゴの語から不徳の匂いを取り除き、人気の食物としてのリンゴを社会復帰させることに成功したのでした。協会はまた、1930年―1938年の大恐慌の時は、売り物のリンゴを街で貧民に配ったと信じられています。しかしこの話を裏付ける説得力ある証拠書類は見つかっていません。

           ニューヨーク市歴史協会 教育委員会

七兵さんによる翻訳です。


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Last-modified: Sun, 08 Feb 2009 23:57:50 JST (3789d)
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