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  禁酒法 / The Prohibition Law

 第28代大統領トーマス・ウッドロー・ウィルソンが制定した憲法修正第18条。合衆国の領土内における0.5%以上のアルコールを含む飲み物の製造・販売・運搬・輸出入を禁じた。違反者は初犯でも罰金1,000ドル、禁固6か月という重罪が課せられた。
禁止されたのは『飲料用アルコールの製造・販売・運搬・輸出入』で、飲酒は禁止されていないため富裕層の多くは施行前にアルコールを大量に買い占めたといわれている。また隣国カナダからの輸送を取り締まらなかったため、カナダ経済はこの禁酒法で大いに潤ったという。

 不健全な酒場を取り締まることが「禁酒法」の目的であったが、より不健全なもぐり酒場(スピーク・イージー)が数多く生まれるなど、飲酒は地下に潜りマフィアの収益源を育てる結果となった。

 同法成立の背景には、植民地時代からの根強いピューリタニズムがある。1851年に全米で初めてメイン州で施行され、これが各州に広がり、1920年には全米で適用となった。ここのあく方が廃止となる1933年12月までの13年10ヶ月、売られた酒は53億リットルといわれ、それによって儲けたのはカナダのアルコールメーカーとギャングだけであった。

ヒストリー

  • 1851年 メーン州で全米で最初の禁酒法制定
  • 1920年1月16日 アメリカ合衆国憲法修正第18条(Amendment XVIII)施行。
      起草者の名前に因んで「ボルステッド法」(The Prohibition Law)とも呼ばれている。
  • 1931年 エリオット・ネスらにより脱税容疑でアル・カポネが摘発される。
  • 1933年12月 禁酒条項を無効とする憲法21条修正が成立

エピソード

  • 日本でも大化2年に聖徳太子が禁酒法を発令している。
  • 禁酒法施行前には約15,000軒ほどだったニューヨークの酒場は、禁酒法時代には地下に潜って営業を行い、その数は32,000軒と倍以上にもなった。

アル・カポネとエリオット・ネス

 アル・カポネエリオット・ネス?の禁酒法をめぐる戦いは有名だが、エリオット・ネスは禁酒法廃止と同時に失職、皮肉にも彼は晩年アルコール中毒になり心臓発作で亡くなった。アル・カポネは脱税で逮捕、サンフランシスコ沖に浮かぶアルカトラズ島の獄中で梅毒によって亡くなった。


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Last-modified: Sun, 26 Apr 2009 19:52:13 JST (3737d)
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