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  Rocky Aoki / ロッキー青木

1938年東京生まれ、本名は青木広彰。鉄板焼きチェーン「ベニハナ」を全米に展開、アメリカン・ドリームを現実にした日本人。

1959年、慶応大在学中に日本選抜チームのレスリング選手団の一員として米国へ遠征、「アメリカでレストランを開きたい」と翌年渡米する。

アメリカでの商売の手始めはハーレムでのアイスクリームの移動式販売だった。強盗に遭わないようにと、自分がレスリング時代に活躍したラジオの録音を流すも、3度の強盗にあった。

1964年に「ベニハナ・オブ・トーキョー」をヘルズ・キッチン?開店。最初の半年は全く客が入らず苦戦したが、1965年に入って「ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン?に紹介されると一気にブレーク、有名人が大挙した。お客さんの前で調理を目の前で見せるという、今まで分離されていた調理と食事を一体化した新しいジャンルを切り開いた。

スーパー・モデルのデボン青木(25)は2人目の妻との間にできた実娘。

ヒストリー

  • 1959年 日本選抜レスリングの選手団として渡米。
  • 1975年 バックギャモンの全米チャンピオンに。
  • 1979年 モーターボート事故で大動脈破裂、肝臓破裂、片足を4か所の複雑骨折する大事故を起こす。この時の輸血でC型肝炎となり、この先、肝硬変、肝臓がんと進んでいくことになる。
  • 1981年 ガス気球で太平洋を横断。
  • 1995年 アメリカ、レスリングの殿堂入り。
  • 1998年5月 インサイダー取引に絡みベニハナの会長を辞任。
  • 1999年8月 執行猶予3年、罰金50万ドルの判決が下った。
  • 1999年 ニューヨークのすしチェーン「はる」を買収。
  • 2008年7月10日、ニューヨーク市内の病院でがんの合併症による急性肺炎にて死亡。69歳。

エピソード

  • 1964年に東京オリンピックのレスリング米国代表に選出されたが、米国市民権を持っていなかったため参加することはできなかった。
  • 最期に書き残した言葉は「もっと挑戦」だったという。
  • バージングループの統帥、リチャード・ブランソンの冒険を「奴は俺の真似をしているだけさ」と嘲笑した。

外部リンク

ベニハナ オフィシャル・サイト
New York Magazineの特集記事

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Last-modified: Wed, 10 Oct 2012 22:55:21 JST (2169d)
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